2010/3/12 Ayub Stadium(2)~Ghaza(パシュトゥン相撲)


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パシュトゥン相撲を観戦する前に礼拝をする人々。



Ghaza(ゲイジャ)というパシュトゥン相撲。彼らの伝統レスリングで、相手を倒して背中が地面に着いたら1点で、ひとつの取り組みで2点取ったら勝者となる。大相撲の東西のように2チームに別れて対戦するそうだ。組み合った格好は柔道にも似ている。(関連記事



このレスリングを見物するのはパシュトゥン人だけである。彼らにとってはクリケットよりも人気があるかもしれない。






互いにつかむ箇所は決められていて、実力に圧倒的な差がなければ、じっと組み合ったままで動きはとても少ない。勝敗は足腰の強さが全て、という印象だった。(そのまま両者引き分けという場合も少なくない。)






棒を持った人は、パシュトゥン相撲の競技運営者の一人。木の棒は、観客が少しでも内側に入った場合に容赦なく叩き出していた。日本からの見物客(私)は、内側に入って見ることが許された。






たとえ相手を吊り上げても、背中から倒すことは難しい。両足を上げて構えられると、簡単に足裏で着地されてしまうのだ。



なかなか勝敗が決まらないだけに、誰かが倒されると会場は大歓声で盛り上がる。



敗者は疲労の上に悔しさをにじませて味方のチームに戻る。



隣にあるホッケー場の観客席の裏側からも、多くのパシュトゥン人が見物する。

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2010/3/12 Ayub Stadium(3)~ホッケー試合


正式な試合(「Marri Memorial Hockey Tournament」の決勝戦)が行われていて、テレビカメラも来ていた。。









試合後は表彰式。






何となく、地元のマスコミに混じって最前列でカメラマンをしていた。



競技が終わった日暮れごろ、ホッケーの観客席の裏側から、パシュトゥン相撲会場を望む。
(帰路につく人々の群れ。)

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2010/3/13 クエッタの人々


Nadir Khan Kakarさん(37歳)。食堂の経営のほか、カラチ行き、イラン行きの大型バスのチケットを売っている。(安宿も含めてホテルが集まる地区で気さくに声をかけてくれるので、クエッタ(Quetta)を訪れてお世話になった日本人も少なくないかもしれない。私は、この地区で安宿が地元人で満室であったので彼に聞いて別の安宿街を紹介してもらった。彼は「この2週間、Chman国境は米軍に占拠されて地元人も通行できない。」と言っていたが、私が訪れたときには国境は開かれていた。)



Liaqatバザールの一角にはハザラ人の屋台・物売りが集まる。写真はMuhammad Aliさん(写真右)の腕時計販売・修理屋台。
同じイラン系かつシーア派である、イラン人(ペルシャ人)については、「金持ちが多い」「美人が多い」などと好印象なのに、ハザラ人は被差別民族であり低賃金の仕事につくことが多い。とくに歴史的にパシュトゥン人とは根が深く、アフガンでは互いの虐殺が起きている。(タリバン台頭時のハザラ人への虐殺が有名であったが、それ以前には逆もあり、パシュトゥ人にしてみれば「ハザラ人の方が残酷」と口をそろえる。)
顔つきはモンゴロイドに似ていて日本人も彼らに間違えられる。



Jaffer Aliさん(25歳、写真中央)の服屋台(下着など)。月収5,000~6,000Rs(約5,300~6,350円)ほどだそうだ。



Safar Muhammadさん(23歳、写真手前右)はパシュトゥン人。腕時計販売・修理屋台で1日に200~300Rsを稼ぐ。



学生のBliraheem君(18歳、写真右から3人目)、Mateeullah君(19歳、写真右から2人目)。

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2010/3/13 クエッタのゴミ拾い少年たち


クエッタでもゴミを拾う子供を至る所で見かける。観光案内所にも近い空き地にて、ゴミ拾い少年らが集まって、拾ったビー玉で遊んでいた。写真左からPakar君、Tazakul君、Dadak君、Dost君(写真手前右)、Abdul君(10歳、写真後ろ左)、Zal Jameer君。皆ブラウィー(ブラーフーイー)を話す。
翌3/14、撮った写真を渡すため同場所に訪れると、クリケットをする少年の中にZal Jameer君がいた。貧しくてゴミ拾いをする子もそうでない子も一緒に遊んでいるようだ。
彼は、ゴミ拾いで月に5,000Rsを稼ぐそうだ。親の収入の差もあるが、弟妹の数が多ければ、子供とは言え稼がなくてはならない。
6人全員分のプリント(この写真)を手渡すと他の子に遠慮がちに喜んでくれた。

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彼らの友人Mamajan君がロバの馬車で通りがかった。



同じくゴミ拾いをしていた兄貴分たちが、「俺も撮って」とやってきた。写真左からNasir君、Abdul君、Nazil君。



3/14撮影。宿の近くで朝早くからゴミ拾いをしていた少年。



夜、一人道端でゴミを燃やしていた少年。


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2010/3/13 クエッタのゴミ回収所(1)


4/14撮影。クエッタの中心街にほど近い、Sandhi Stにあるゴミ交換所。こうした店はクエッタ全域では100箇所近くあるらしい。(写真の大人たちは近所の人々)(関連記事



夜になっても、ゴミを換金しに持ち込む人、回収したゴミを整理する人が働いていた。
多くは少年である。






店を任されているWaki Rahamadさん(21歳、パシュトゥン人、写真右から2人目)が、換金に来た人にお金を渡す。ゴミを5Rs/kgで買取り、ラホールで10Rs/kgで売れるそうだ。交換所の利益は月に50,000Rsほど。5Rsは安いと思ったが、州都から出るゴミは多く、ゴミ拾いで一日に200~300Rsくらい稼げるそうだ。



人柄の良いChachaさん。今日の報酬200Rsを手に笑ってくれた。



私がカメラを向けると、子供と一緒にふざけるWakiさんはChachaさんを持ち上げてポーズ。



買い取ったゴミを整理するスタッフたち。



2階建てのこの建物は、トイレ以外はどの部屋もゴミで溢れていた。


Kadar君(10歳、写真左)らゴミ拾いの子供たち。



午後8:30ごろに店の門を閉め始めるが、ゴミを換金しにくる男たちがひっきりなしにやって来る。持ち運べる量は限られるので、大きな袋は一杯になるたびに交換所を訪れる。一日に5、6回になるようだ。こうして朝から晩まで働いて得るのが300Rsほど(安い食堂で6、7回の食事代くらいの額)。一家を養う大人たちが少しでも量を増やすために必死なのは当然だろう。
結局、店が完全に閉まったのは9:30すぎであった。



遅くまでゴミ拾いをして戻ってきた子供たち。



Wakiさんの弟Sa Muhammad君(写真左)。



Ata Muhamad君(13歳、写真右)ら。



名前を聞けなかった人も多かったが、撮った写真は翌日Wakiさんに託した。

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2010/3/14 クエッタのゴミ回収所(2)


翌日は朝晩にSandhi Stにあるゴミ交換所を訪れた。



スタッフの弟など小さな子供も一日ここで過ごしている。



紙類からプラスチックなどを分別する。



子供たちも朝からゴミ拾いをして、1回目の交換にやってきた。



写真手前左から、パシュトゥン人のKadar君(10歳)、Rafique君、Totr君。



Wasir君(8歳、写真中央)、Shawali君(12歳、写真右)。

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2010/3/14 クエッタのゴミ回収所(3)


この日も夜9時すぎまでゴミを集めてくる男たちが絶えなかった。



Wasir君(8歳)。



写真左からMuhammad Ibrahim君(12歳)、Abdul Ullah君(10歳)、Daiatilla君(10歳)。Wasir君(8歳)。






1時間ほどで手際よくゴミを集めてきたRabiniさん(写真中央)。この時は11kgを持ってきた。彼の場合、1日に500Rsも稼ぐこともあるという。



仕事の後はお金をもらい、しっかり手を洗って帰っていくRabiniさん。
(彼のようにまともに話をしてくれる人は少ない。ゴミ拾いの大人たちには薬物中毒者も多いからだ。Habib Nala(ハビブ川)に架かるJinnah Rdの橋付近には中毒者の集まる一帯がある。彼らはゴミ拾いをして稼いでも薬物に費やしてしまい、彼らの子供らもゴミ拾いをして暮らしているそうだ。)



Safraazさん。



Aji Muhammadさん。仕事のあとはさっそうとバイクで帰っていった。その姿は、ゴミ拾いは単に職業の一つで立派に生きていくことができる、と誇らしくも見えた。

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